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2017-04-11

空き家ができるのは無計画な開発が原因?

本当?都市計画と住宅政策が空き家を生み出すのだろうか?

講談社の「現代ビジネス」サイトで、「空き家大国ニッポン」のゾッとする近未来〜首都圏でさえこの惨状…について藻谷 浩介さん,野澤 千絵さんの対談コラムを読む機会がありました。なぜ、人口は減少するのに住宅は作られ続けるのか、いずれ空き家大国となり日本を滅ぼしかねない大問題として「空き家」の激増要因を「都市計画の欠陥」と指摘されています。

 確かに少子高齢化で逆ピラミッドの人口形成となっていくことで住宅事情も変わりつつあることを、改めて認識させられる見解をデータに基づき示されているようです。しかし、対談を読み終えても、「なるほどそうなのか」と、何かすっきりとした気持ちにはなれない印象を抱きました。本当に都市計画の欠陥により空き家が増えるのだろうか……。

 何か問題を提起する人がいるから、次の思考やそこからより良い発想も生まれてくるのだと思われます。感じ方や意見は人の数だけあることは健全であり、そこからより良い方向へ向けての画策ができるのではないかと考えます。ここでは、私個人の捉え方を踏まえ感想を述べさせていただければと思います。

皆さんはどのように感じられるのでしょうか。興味のある方はこちらのサイトを御覧ください。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51118

 

過去を振り返れば…

 日本の高度経済成長、その時代と共にあった都市計画法。政治も経済も目の当たりにする成長と共に、その時代に見合う最善を尽くした内容だったと私は思います。いま落ち着いて振り返れば行き過ぎたことも、失敗だったと思うこともあるでしょう。無計画な都市計画だったのかもしれませんが、その時代を踏まえ良い場面も悪い場面も皆が成長を疑わなかった。だから今があるのは紛れもない事実だと思います。

 振り返り論じれば「都市計画が良くない」といった見解にもなるのでしょう。最近では街を走る1960年代の自動車は見かけることもなくなりましたが、もし走っていたならば、その車を見て「年式の古い自動車は燃費が良くない」というだけで終わっているように感じます。「古い家(中古)も今の新築に比べれば断熱性能やサッシなどの性能は良くない」のかもしれません。しかし、当時はベストを尽くした新しい心躍らせるモノだったのではないでしょうか。無策な都市計画であったならば、いまこれからをどうすれば良いのか、打開策となる新たな法整備案など発言権のある専門家としての具体的な改善案の提示が欲しいと思いました。

 国も自治体も資本主義社会の中では成長し、利益を生み出し続ける必要があるため、産業の後押しをする構造の、一つの媒体として今後も変わらず都市計画を利用していくのだと思われます。しかしながら、道路や商業施設、宅地開発など、何かを建設することで日本の経済成長を大きく望み、活気を生み出す原動力として期待し、経済効果をもたらすというのは過去の栄華に縛られ固執した発想に感じられます。今の時代にはそぐわない手法となっているのかもしれません。規制緩和も市場の需要につながるから行うのでしょう。あくまでも主体は生活する人々がどのような生活をしていくのか、国や自治体はそれをどのように高揚させることができるのか、過去から学び、軌道修正しながら、将来を見据え、よりよい生活環境が構築できるように体制を創っていく柔軟な想像力と経営力が問われるものと考えます。

問われる国と自治体の経営手腕

 もし、人口が減っていることが当初判明していたにもかかわらず、夕張市が「市営の住宅を建設し続けた」というのであれば、それは呆れた話です。集合住宅となれば、欲しいときにすぐに建つモノでもありません。勢いよく産業が成長し、人口も勢い良く増加していく中で、冷静に5年先を見越すことが難しかった、あるいはその見極めが甘かったのかもしれません。仮に見極められたとして、浮き立つ風潮に釘を刺すことができる人は存在していたのでしょうか。北海道郊外の開発しかり、過去を検証してみると「人口が減り始めていた」となるのかもしれません。 

 「某商品」の反響が大きく、流行をよんで、これからもまだまだ売れそうだから新しい工場を作らなくては供給が出来なくなる。「まだまだ売れそう」といった曖昧な判断では工場の建設には踏み切れないはずです。どこまで需要が伸び、続くのかを見極めることは経営者として将来を見据えた慎重な判断が必要です。都市計画が無策であったというより、施策・法律というアプリケーションの使い手であった、国や自治体の使い方と経営判断が甘かったということにはなるのでしょう。

消費財を扱う国・自治体の収入源

 企業ならば損失がかさみ倒産する会社もありますし、存続のために次の一手を打つ会社もあるのでしょう。国は、どのようにその負債を埋めていくのでしょうか。国や自治体も人口=税収に頼らない、一つの企業として独自の生産性を高め、収益を得ていく必要性があるのではないでしょうか。減少の進む人口をベースとした政策で、住民の奪い合いや工場・企業誘致、建設やインフラ整備では、いずれはゴーストタウンが生まれることになるのでしょう。住宅やショッピングモール、都市計画までもが、いまや食品や家具、パソコン、自動車、などと同じ、必要な時、欲しい時に買う一般消費商材として流通しているように感じます。消費財を扱う以上、国や自治体の流通を考慮した経営が必要となり、受け身ではいられないと考えます。

高齢化と生産性のコントロール?

 自治体も国も人口の増減は、若い世代が常に入ってくればその分高齢者に移行していくのは当たり前のことです。高島平もお台場も住む場所が必要だから建設され、それに伴い小学校や中学校も足りなくなり、建設される。しかし今では都市部の小学校や中学校の統廃合が進んでいます。量が必要な時には大きな器や幾つかの器で賄い、量が減れば小さな器で賄うのは、学校だけでなく住宅においても、ごく当たり前の事と思われます。

 論旨からすれば、各自治体やマンションなどへの若い世代の流入が常に一定数に制限されていれば、高齢者も制限でき、定数になればコントロールする事は容易になる事でしょう。しかし、収入源となる人口を都合よく抑制し、成長を抑えた施策が本当にできるのでしょうか。

 住民の加齢は必然です。数十年後の高齢者の大激増が無策な都市計画による乱開発に原因があると言い切れるものなのでしょうか。住民の加齢を考えた都市計画とは一体どういうものなのか、生産年齢と高齢者の人口をコントロールできるシステムは一体どういうものなのか、とても興味があります。

今、住宅を資産価値としてみている人はどれだけいるのでしょうか

住宅は今、必要だから買う

 今、家を購入する人たちに対して「なぜ、買うのか。不思議なのは、こういう時代でもなお家を購入する人がいるということです。」と対談者は言われています。「資産価値になるから住宅を買う」と考える人が住宅購入者の全ての考え方ではないと思われます。

 将来、住宅が余ることで、家を売ることもできない、資産価値を失う「負動産」になることを危惧されているようです。対談者は都市計画による乱開発当時の過去を否定的に見ているが、一方では住宅の概念を投機目的と考えているように思われます。高度経済成長期の名残と過去の尺度で捉えた考え方と感じるのは私だけなのでしょうか。

 高い買い物とはいえ、現金を積むわけでもなく、たいていはローンを組むわけです。単純に「今必要だから、欲しいから、払える金額のものを買った。」「欲しい時に、必要だから買う」つまり買いたい人がいる。これをマーケットの問題として買う人のマインドに問題があると言われています。「欲しいから、必要だから買う」のであって、買う人に問題はないと思うのです。それぞれに欲しいものがあるのは当然のことであり、どんなものであれ、自分のお金で買うのですから第三者が「あんなものをなぜ買うのか」というのは、大きなお世話です(笑)。

一般消費財の住宅

 高度経済成長の中で住宅の工業化が進み、住宅が他の商品と同じく一般消費財の延長線上にある今、資産価値として捉え、購入する人がどれだけいるのだろうか。また、国と不動産業界と金融業界の3者のビジネスの前提条件として組み込まれているルールから、実際の耐用年数より短い、新築木造住宅の場合、20年で建物の価値が実質ゼロとされています。そのような中、果たして資産価値と捉えることはできるのでしょうか。住宅は消費財の扱いであるから消費税がかかる。新築住宅や中古住宅の売買に於ける消費税をなくすことで、住宅の売買が活性化できるかもしれません。

住宅業界で「供給を増やせば市場価値も上がる」ことが市場経済原理とは真逆になるのは、土地や環境という固有性が付随するからではないでしょうか。長く住んできた愛着のある場所に良い物件があった、実家から近い、通勤に便利、環境が良い、交通の便が良い、治安が良いなどなど、新しい物件探しの条件の中にはこのようなワードが上がってきます。その条件のなかで、それぞれの予算と生活に見合った物件を探すことは選択肢も限られることでしょう。当然、他の方々にとっても条件の良い場所にある建物となり、多くの需要があり、それに見合った供給が望まれ、競争も激しくなることは道理かと。他の一般消費財においても固有性の高い品物は値段を下げる必要性もなく、需要を期待できるものが存在していると思われます。

「買う奴がいるのだから、今売れればいい」という「売り逃げの論理」

 住宅に限らず、「買う奴がいるのだから、今売れればいい」という「売り逃げの論理」は存在することでしょう。将来分譲タワーマンションが「新・山村」になるのかもしれませんが、戸建てにもマンションも、タワーマンションも住宅業界の人が買わないことはないと思われます。住宅業界の人はどこに住むのでしょう。仮に将来どうなるかを考え、情報として耳にすることがあったとしても、買わないことへの決定的理由にはならないと思われます。注文住宅やリフォームした中古住宅、中古マンション、どの場面を切り取ってみても消費財となった住宅では「買う奴がいるのだから、今売れればいい」という「売り逃げの論理」は存在するのではないかと思われます。住宅を「負動産」とならない「資産」として買うのか、「消費財」の一つとして買い、消費し使い切るのか、購入者は改めて自覚する必要があるのかもしれません。

 そして、売り逃げをした不動産会社が建物を建てることで高齢者の詰まった「新・山村」の製造物責任が問われるとのことですが、どのように責任が発生するのでしょうか。「必要だから、欲しいから買う」買い手のマインドが需要としてそこにあるのです。それが現実であり、買いたくない人は買っていないと思います。

 将来、所有者が高齢者だけになった時には、安くても売って老人ホームへ行く、あるいは売れなくそのまま放置することになるのかもしれません。または、別の場所へ引っ越しをするのかもしれません。

 分譲を買ったらそこに永年住み続けるというのも、これまでの概念に基づいた見方のように感じます。住人が減って、維持費がかさむようならば、そこに留まり少ない住民で建物を守っていきましょうという考えは一つの理想的なお話にすぎないと思います。維持管理が難しくなれば、放棄する人も出てくるのではないでしょうか。管理組合はあくまでも住民、所有者の皆が維持管理していきましょうという善意の上に成り立ち、建物や住まいへの愛着が当然のものとしてありますが、定住思想の上にしか仕組みの成り立たない、盲点があるのではないでしょうか。

 マンションも戸建ても消費財と捉えると、維持管理などという面倒なことが起きるくらいならば、使いにくいものは使わなくなり、破棄されていくのかもしれません。

 賃貸ならば、生活環境の変化にともない、住宅の居住空間を変化対応できる。しかし、高い家賃を払うくらいならば少しでも資産として残る、価値になるという幻想とともに老後には賃貸には入れないという不安から住宅を購入する方も多くいるのだと思われます。昨今都市中心部の中古分譲マンションでは、賃貸として転用されているケースも多くなっているようです。住宅を買う場合、戸建てより分譲マンションの方が消費財としても扱いやすいのかもしれません。いま建てられている定住目的の分譲マンションもいずれ賃貸等に転用されていくのでしょう。

 住宅の供給過剰と空き家の増加は、このままでは歯止めなく進行してくのでしょう。生産年齢が都市に流入し、住みつけばいずれ、非生産年齢層を形成するのも当たり前のことで、少子化の逆ピラミッドでは、空き家対策もないと思われます・・・。人がいなくなれば、人が荒した土地が原野に戻るだけのことです。近所では、空き家は壊され、更地には新しく建物の建築が始まっています。まだ需要があるようです。

 机上で考えた制度や規則をかけるのではなく、過保護な助成金や補助、寄付金などのバラマキで、ひと時をごまかすことをせずに、楽しく働ける仕事があって、収入が得られれば人間、もっと元気がでるように思われます。人が元気になれる環境になれば、自然と生活も豊かになるのではないでしょうか。国や自治体に頼っていても始まらない、未来の楽しい生活は、一人一人が築き上げていくものなのかもしれません。

『BOTTOM-UP  WITH  NO MASTER PLAN  !!!!』

Pプラスには世間を動かせる発言権は持ち合わせていませんが、新しい生活を始めるにあたり、身近な問題に直面している人々が抱く住宅への不安を検査や調査を通して一つでも取り除くことができるようサポートをし、一人一人の僅かながらの活力になれるよう取り組んでいきたいと思います。

『p+で安心!安全!そして元気を!』

 

対談コラムは、講談社の「現代ビジネス」サイトにあります。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51118  20170310

※こちらのコラムを読み、限られた対談の文面から受け取った、あくまでも個人的な感想と建築に携わる者としての一つの見解が書かれたものと捉えていただけますようお願いいたします。対談者2名に対する誹謗抽象を目的で書かれたものではありません。呉々もご留意いただきますようお願いいたします。

 

講談社の「現代ビジネス」は、第一線で活躍するビジネスパーソン、マネジメント層に向けて、 プロフェッショナルの分析に基づいた記事を届ける新創刊メディア

対談者紹介

藻谷 浩介(もたに・こうすけ)1964年、山口県生まれ。日本総合研究所主席研究員。主な著書に『デフレの正体』『里山資本主義』『しなやかな日本列島のつくりかた』『和の国富論』などがある

野澤 千絵(のざわ・ちえ)兵庫県生まれ。東洋大学理工学部建築学科教授。著書『老いる家 崩れる街――住宅過剰社会の末路』(講談社現代新書)が話題を呼び、累計5万5000部を超えている

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空き家問題|徳本法律事務所
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